麻歩の、寝たり食ったり喋ったり(^^)

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君主論から学ぶ、パワハラ因果応報

 パワハラ国会議員さんのニュースを朝から見て、とても嫌な気持ちになりました。人の怒鳴り声って、たとえ自分に向けられたものでなくても不愉快ですね。

 被害者の元秘書さん、疲弊した精神で、よく勇気を出したなって思います。

 

 わたしも、パワハラを受けた事があって、その間の精神、健康状態がいかなるものかよくわかります。

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 パワハラをする人は、心が幼いと思います。

 

 上の記事では、パワハラをされたわたしが、落ち込んでから回復するまでを書かせていただいたので、今日は、パワハラを受けた人間の気持ちがどのように変化するのかを語りたいと思います。

~目次~

パワハラは絶対悪!

 今回の事件は、被害者の方が重大なミスをしたから、というのがきっかけのようです。

 確かに、調べてみたら、やってはいけない、たくさんの方に迷惑がかかる行為でした。語調が強くなるのも、指導が厳しくなるのも、わかります。

 

 でも、ちょっと待ってください。

 

 いくら被害者側に落ち度があったからといって、物理的に叩くのは絶対なし!これをやってしまったら、100%悪でしかないし、被害者の容姿を指摘したり、怒鳴り声で感情をぶつける行為は指導の範疇を超えています

 途中から、発言の目的が、指導ではなく、相手を効率的良く傷つけることにシフトしていったと考えられます。

パワハラ上司は君主論を読んで

 おすすめしたい本に、ニコロ・マキアヴェッリの「君主論があります。

 君主たるもの、うんたらかんたら、という本で、読んだ事がない方でも、学校の授業で習うから、名前も耳にした事はあるのではないでしょうか。

 

 君主論は、意訳や要約、原文など様々な本が出版されていますが、その中で、日本語で書かれていて、専門知識がなくても読みやすいものを1冊紹介致しますね。

 パワハラを受けた人間の反応

  上記は正確には君主論ではなく、君主論・政治論中心の抜粋本になります。

 

 この本の中に、君主たる者、人から恨まれる事をしてはいけないよ。人間が極端な行動に走るのは、名誉を深く傷つけられた時だよ、というような事が書かれているのですが、多くの君主が名声を得たり消えたりしていった歴史を見ると明らかですよね。

 

 パワハラを自覚した時のわたしの感情の変化は、こうでした。

かかわりたくない

 この人とは深く関わらないようにしよう。

 

 触らぬ神になんとやら、ってやつです。

 結局、雑談の中で話した事が、後の攻撃材料に転化するケースが多かったため、私的な事は、どんな小さな事でも話さなくなりました

絶対に許さない

 わたしのように、回避型のコミュニケーションで自分や周囲の人間を守ろうとする人もいれば、絶対にいつか仕返ししてやる。みてろよ!チャンスを伺って待っている人もいると思います。

 この、後者の人が結構やっかいで、何もない時はいいですが、一度敵として認識されてしまうと、何をしても説得する事はできないし、加害者が何か失敗しようものなら、そこにつけこんで一気に攻め落とすぞ!と、足を引っ張る要因になってしまうんです。

利他的な行動を避ける

 パワハラ上司は、とても気分屋でした。

 

 簡単な事です。

 この人に、どんなに気を遣ったり、親切にしたり、利益になる事をしても、機嫌が悪かったり、こちらが何かミスをしたら、全て0になって筋の通らない叱責をされる。だったら、気を遣っても意味がない

 

 普段、人と話す時、この人にこういう言い方をすれば、自分の印象がよくなって、利益になると逐一計算しながら話しているわけではありませんが、よい結果にならないだとう、という前例があると、どうしても相手の利益になりそうな事を避けてしまいがちです。

 

 実際わたしも嫌がらせこそしませんが、お客さんに不利益はなくて、パワハラ上司にだけ利益がある、というお願いをされた時、やろうと思えばできなくはないけど、自分の都合で断る事があります

 残業して手伝えば、パワハラ上司の負担は軽くなるけれど、自分の仕事が終わったから、疲れを取って将来の足しになる事をするために定時で帰る、といった場合です。

 

 パワハラをされる前のわたしなら、「○○さん、よかったらわたし、手伝いますよ」と自分から声をかけていたのが、この人に親切にしてもぁという気持ちが行動を制限します。

 また、パワハラで人の定着が悪いため、新人教育に時間を割かれ、教育係りになった人は自分の仕事が進まず残業が増え、教えた新人も使い物になりそうな、これからという時にパワハラですぐにやめてしまうため、それをカバーする周辺の負担や、余計な人件費がかかってしまいます。

 

 こんな風に、人に不必要に辛くあたる事で、本来なら得られる協力や利益が得られなくなったり、余計な恨みを買って、後から倍返しされる可能性もなくはありません

 

指導とはどうあるべきか

 たとえ相手に落ち度があったとしても、指導は適切な言葉で、必要な事だけを淡々を言うのがいいのではないかと思います。特に、感情的になって容姿や人格を否定する言葉は不要です。

 言葉って、それだけで人の印象を決定づける要素です。

 相手の事をよく知らない状態で、汚い言葉をぶつけられたら、その人の性格や育ちそのものを、よく知らない相手なのに疑ってしまいがちです。

 

 異性関係のハメをはずしすぎた失敗なら、良くはないけど、まぁ人間だもの、で1回目なら許してもらえる部分もあるけれど、言葉によって人間性の醜さが露呈してしまったら、謝る事はできても、信用をなくしたという意味で、復活は難しいのかなと思います。

 

 きつい事を言わなくてはいけない場面でも、無難に愛想よく、綺麗な言葉で諭した方が、相手の心に届きやすいと思います。

 

 北風と太陽の話をご存知でしょうか?

 北風と太陽が、どちらが旅人の服を脱がす事ができるか、勝負する話ですが、強い力で吹き飛ばそうとした北風と、暖かな日差しで照らし続けた太陽と、どちらが勝ったのか、答えは明確ですね。

 

 相手を力で強制的に変えようとすれば、当然反発が起こります。よって本来の目的を、より達成しづらい状態を自ら作り出してしまいます

 恐怖は相手を萎縮させ、本来の能力を発揮できずミスを誘発します。そして、それによって発生した怒りが相手にぶつかり、それによって生まれた恐怖と怒りが無限ループします

 

 部下に仕事をしてほしかったら、適切な指導を行い、マキアヴェッリのように、できる部下には裁量権と褒章をやってモチベーションを上げ、絶対の信頼を築いた方が、遥かに自分の利益になると思います