わたしは現在進行形で独学でイタリア語を勉強していますが、実はずっと昔に、一瞬だけイタリア語教室に通った事があるんです。
今日は、期待と不安が入り混じった状態で見学から申し込み、入会金まで払ったわたしが、始めて3ヶ月で教室に行けなくなってしまった話をしようと思います。
楽しいイタリア語教室
そこには、吉田羊さんを思わせるようなキャリアウーマン系看護師吉田さん(仮名)、叶美香さんを彷彿とさせるような、愛されセレブ系主婦美香さん(仮名)2名をそれぞれ中心としたグループから成り立つ、女性が多いクラスだった。
授業は楽しく、イタリアでの行事や食べ物など、文化の話を中心に、雑談形式で、生徒は気軽に話の途中で先生に質問ができた。
上手く文が作らなければ、電子辞書を使って音声読み上げ機能を使ったり、単語のページを見せても良い。
言いたい事がわかった生徒さんがその場にいれば、その場で助け舟を出してくれる。
まさに理想の教室!
先生は、日本とイタリアを年に何度も往復するイタリア人で、日本語がほとんど話せないが、気さくで楽しい方だった。
わたしは、見学から入会した生徒で、見学初日からいきなりテキストを音読させられてビビったけど、綴りを読む事や、簡単な文であればわかったので、所々つっかえながら、その場を何とか乗り切る事ができた。
新しい風
教室は、常に新しい生徒を募集していて、わたしのような見学の人が時々来ては、新たな仲間に加わった。
ある日、イタリアの外国人大学を卒業されたみのりさん(仮名)が、見学から生徒になった。
みのりさんは、さすが現地で暮していただけあって、イタリア語がペラペラで、先生とネイティブのようにスラスラと色々なことを話していた。
現地の大学を卒業したが、イタリアに就職できなかったことを嘆いていた。
それとほぼ同時期に、トラック運転手の鈴木さんが、見学から生徒になった。
仕事ばかりの人生を送ってきて、元々サッカーが好きだったから、イタリア語を学んで人生の楽しみを増やしたい、というのが入会動機だ。
このあたりから、教室の雰囲気が、ガラッと変わってしまった。
先生がイタリア語で、
「あなたの名前は?」
と聞いたら、鈴木さんは迷う事なく、
「fine thank you!」
と答えた。
もちろんこれは間違いで、イタリア語学習者なら、この時何と答えたら良いか、頭にテンプレートが浮かぶところだが、鈴木さんは全くの初心者で、勉強をしていなかった。
間違っているかもしれない状況で、パニックにならずアクションを起こした。
この事をわたしはすごい、と尊敬した。
だが、そうは思わない者がいた。
「プッ…!wwww」
人を見下すみのりさんの乾いた笑いが、教室に響いた。
変わりゆく環境と、決断
こういった事が、以後頻繁に起こった。
誰かが間違えるたびに、みのりさんが渇いた笑いを発し、発言者に恥をかかせたり、先生を呼び止めて、「どうしてこんなレベルの低い授業をやっているの?」とイタリア語で文句言っている。
教室では、1人、また1人…と人数が減っていき、みのりさん以外で授業中に雑談のように質問を投げかける生徒はいなくなった。
グループのメンバーは、散り散りになっていった。
半年分のレッスン料を前払いしてしまったので、何とかして元を取りたい。
何よりもイタリア語を学びたい!
そう思い、何度も教室の近くまではくるのだが、中に入ることができない。
不登校児のように、足が地に張り付いて動かなくなり、悔しい思いで来た道を引き返した。
やがてわたしは、教室の近くまではくるのだが、授業開始時間前にその手前にあるカラオケボックスに入り、授業終了時間をずらしては、ヒトカラをして出るだけの人になった。
授業料を払って意味が、全くもってなくなった。
好きなアーティストの歌を、好きなように解釈し歌い、好きなように飲み食いして部屋を出る。
歌っている時間は楽しいが、お金を払ってカラオケボックスを出た時、自分がとてつもなく恥ずかしく悪どい人間に思えた。
義務教育ではないので、叱ってくれるような先生もいないし、授業に来ないことを心配する友達もいない。
このままでは、語学が嫌いになってしまう。
語学は人を嘲るための道具ではないのに。
そう思った瞬間、わたしは教室を辞める事に決めた。
初級レベルの落とし穴
語学教室は本来は楽しい場所だ。
初心者歓迎というのは、生徒の数を増やしたいからだろう、難しくないから、誰でもどうぞと、敷居を下げて手招きする。
この、「初級」の解釈が、人によってかなり違うことが、初心者コースの落とし穴だと思う。
後にトラック運転手の鈴木さんと話したのだが、彼はabcdの読み方や、簡単な挨拶から教えてもらえると思い、ノー勉強状態で入会して、イメージと違った、と言った。
わたしは、さすがに挨拶くらいは予習してくるべきだし、基本的な会話の練習ができるとは思っていたが、まさか初日にオールイタリア語で話せと言われるとは思っていなかった。
わたしも含め、いわゆる習い事系のお稽古スクールには、楽しみながら勉強して、イタリア語を覚生活を豊かにしたい、という生徒さんが多い。
一方、みのりさんのように実践的な力を身につけて、実力を錆びさせないよう、己の武器を厳しい環境で磨いて、いつか必ず夢を叶えたい、という人強い動機を持つ人もいる。
このように、誰でも受け入れてしまうが故に、初心者コースと一口に言っても、その動機•実力に受講者ごとに温度差•レベル差があり、誰かにとって心地よい環境が、誰かにとっては辛かったり、無意味なものになってしまう。
出だしとゴールが揃っていないから、こういったジレンマが起きてしまうのだ。
結論
現在の心境として、あの時教室をやめていて、本当に良かったと思っている。
やめた事で、現在も勉強を続ける事ができ、今ではイタリア語が生活の一部になっている。
買い物用のメモはイタリア語で書いているし、有料配信などで面白いイタリア映画を見つけると嬉しい。
料理もファッションも音楽も好きだし、俗語も沢山知っている。
これがわたしの、語学との付き合い方だ。
崇高な目標を持つのは結構だが、勉強が面白いから、イタリア語の音が好きだから、好きなアーティストがいるから、という自分が楽しむ目的の人がいたって、いいじゃないか。
今後の展開としては、人前でスピーチしたり、職業にする事は考えていないけれど、無事大学を卒業できたら、個人レッスンをつけてもらおうかなと思っています。
さすがに独学ではスピーキングのスキルの上達に限界があるので。
わたしは、人に注目されるのが苦手で、人が多くなれば多くなるほど、ナチュラルに話せなくなってしまう。
ネイティブにヘンテコな文を笑われるのは平気だけど、勉強した日本人に語学でマウントを取られるのはすこぶる嫌い。
語学は恥かいてナンボ、話して!という人がいるけれど、最初から心折られてしまっては、覚える未来も消えてしまう。
やっぱり楽しくなければ語学じゃない。
また、生徒同士の人間関係は大切で、質問や発言のしやすさが居心地、上達の鍵になると思う。
先生が授業妨害を止めてくれるかどうかもポイント。
また、上級者の方、来るのは自由ですが、学びたい人の気力を奪わないで欲しい。
先生に質問されて困っている時にこっそり助けてくれる上級者の方がわたしは大好きです。
でも、こればっかりは入ってみないとわからないから、門を叩いてみて、嫌な人がいたら、辞めたら良いと思う。
1日に複数回授業を行なっている学校なら、事務の人にこっそり、「◯◯さんが来ない日のレッスンの予約をしたい」と交渉すること事もできるかもしれません。
実用イタリア語検定3級、残念ながら落ちてしまったので、また気長に楽しく勉強していきます。