東日本大震災を、振り返る
今年は、あの3.11、東日本大震災から7年、ということで、震災を体験したわたしが、当時のことを振り返りながら、実際に起きたこと、思ったことなどを、お話ししていこうと思います。
~目次~
被害の大きさに、全く気づいていなかった
震災当日、私はたまたま仕事が休みだったため、家でうさぎとのんびり過ごしていました。
…が、突然大きな揺れが…体が左右に引っ張られるように揺れ、うまくバランスが取れません。
うさぎが激しく怯えたため、ケージを両腕で掴み、万が一、ガラスが割れたり物が落ちてきても、うさぎに当たらないように、揺れに翻弄されながらも、全力で支えました。
やがて揺れが収まると、いくつかの物が壊れたり倒れたりしたこと、電気が全く使えないことに気がつきました。
こんな時、お風呂に水を貯めておいたら便利なんじゃない?と気づき、わたし、頭いいー♪と、ノリノリで浴室の蛇口をひねるも、見たことのない、赤茶色の水が出てきたのを見て、絶望したことを覚えています。
この時はまだ、事の重大さに気がついていなかったため、倒れた本棚と、床の上でバラバラになった本を見て、「ゴミ屋敷なう」か呟いたらウケるかなぁ、とか、のんきなことを考えながら写真を撮り、部屋を片付けていました。
夜になっても電気が戻らなかったため、まともな食事の用意ができません。
まぁ、あれだけ揺れたら仕方ないよねー。明日の朝までには電力会社さんは何とかしてくれるでしょう☆と、この日は家にあるもので適当に食事を済ませます。
外からの情報が全く入ってこなかった事、大きな怪我や被害などがなかったため、震災当日は、落ち着いていて、このような思考でいました。
電気が消えてしまっていたため、家にあるものでろうそく立てを作り、明かりにしました。
夜中、うさぎが余震に怯えて、何度もスタンピング(足ダン)するので、その度に、「大丈夫だからね、落ち着こうね?」と、声をかけて撫でていました。
朝になれば、全てが解決すると思っていました。
街へ出ると、あらゆる経済活動がが止まっていた
朝起きて、携帯電話の充電ができないことに気づいて、これはいよいよヤバイ、と事の重大さがだんだんわかってきました。
携帯の充電を求めた列がありましたが、一番大事なのは食べ物。
生きていれば、いずれ家族とは連絡が取れると思い、食料確保を最優先しました。
特にわたしは、家が狭いということで、余計なものを持たず、最低限の物資しか常備していなかったため、電気やガスを使わずとも、すぐに食べられるものを購入する必要がありました。
また、最悪人間はいいのですが、うちには可愛いうさぎがいました。
うさぎさんは、独特の消化システムを持っていて、24時間、食べ続けていないと胃の活動が止まりおなかの中にガスが溜まり、命に関わります。それは、とても苦しい最後なのだそう。
そんな悲劇だけは絶対に避けなければと、うさぎの食餌を置いているお店を何件も回りました。
頑張って、1ヶ月分ぐらいを入手することができましたが、次はいつ手に入るのか全く分かりません。
電車もバスも動いておらず、自分の足で歩き回る必要がありました。
水分補給の大切と思い、自動販売機の飲み物を買おうと思っても、停電のため全く使えない自販機と、なぜか使える自販機はあるのを発見しました。
電気やガスなどのライフラインが戻るのは、地区ごとの差が大きく、隣の町はもう電気が戻っているのに、ここには来ない、なんてことがありました。
震災で出会った、いい人、嫌な人
人々が事の重大さを認識し、街に出てくるようになると、様々な人に出会いました。
電気泥棒をしている人、乾電池やおにぎりを法外な値段で売っている人、ゴミを空き家にしてていく人。
色々なタイプの人がいましたが、その中でも特に心に残っている、いい人・嫌な人を紹介します。
最後にいい方の話を書いて、気持ちの良い終わり方にしたいので、嫌な人から紹介したいと思います。
物資を手に入れる列に、割り込む人
わたしがコンビニで、物資を手に入れるために並んでいた時のことです。
「すいません!すいません!!」
と、声を上げる人がいたので、無意識によけてしまったんですね。
その場に並んでいた人たち全員が避けたのですが、するとその人は、悪びれもなく商品を手に取り、列の一番最初に割り込み、先に並んでいた人たちを追い越して会計をしていきました。
日本人の、無意識に他人を思いやり気遣う、そんな習性を悪用した嫌な人間だなと思いました。
人を傷つけるために、話しかけてきた人
勤め先でのことです。
ライフラインや物流などが徐々に復旧し、職場に人が復帰し始めた時のことです。
ライフラインの整備は人によって環境が異なり、以前とほぼ変わらない生活に戻れた人もいれば、まだガスや電気が戻らず、お菓子を食べてしのいでいる人や洗面所の冷たい水で頭を洗っている人などもいました。
そんな中、同期の奥田さん(仮名)とお昼を食べていたときの事。
マウンティング主婦のKさんが、こちらに近づいてきました。
この人です。
「あななたちは、今まで、何を食べて、どうやって暮らしてきたの?」
Kさんの質問に答える奥田さん。
私と奥田さんの住環境は似ていて、わたしは被災してからしばらくは、まともに食べられるものがなく、運良くゲットできた大入り袋のおせんべいを、お米の代わりとして、数日にわたって分割して食べていましたし、奥田さんの住んでいる所はガスの復旧が遅く、洗面台から出る水をお風呂の代わりにしていました。
それを知ったKさん、
「うちにはね、食べ物がいっぱいあるの。この間も美味しい焼肉をいただいたのよ」
「うちは、あったかいシャワーも浴びられるの。湯船にも入ったわー」
と、突然のマウンティング。
今まで、ちょっと痛い、あまり関わり合いになりたくない人だな程度だったのですが、この日を境に大嫌いな人へと変わりました。
別に、被災地じゃない人が、焼肉パーティーをしようが、ゴージャスな暮らしをしていようが、全く気にしません。
自分はひもじい思いをしているから、相手も同じように苦労しろ、贅沢は控えるべきだ、などとは微塵も思いません。
ただ、何もこのタイミング、このメンツでその自慢話はないだろう、と思ったのです。
心から引きました。
無償で手を差し伸べてくれた人たち
次は、いい人の話を書きます。
1人目は、ご近所に住む資産家の方。
声をかけられてお宅にお邪魔すると、そこには大勢の子供達が。
何とかしてある物でおにぎりとお味噌汁を作ってみたから、よかったらどうぞ、と。
たくさんいる子供達は、食べ物やガソリンなどを探しに行った親御さんの代わりに預かっている、近所の子達なのだとか。
お金がある人も、そうでない人も、物を売ってもらえなくなってしまった環境で、次がいつ手に入るかもわからないのに、無償でそれを分け与えられる精神力。
独り占めすることもできたのに、それをしない。
ナイチンゲールか!と思いました。
お金の価値の一時的になくなって、ある意味平等な社会となってしまった時に、真の人間性が発揮されるのだなと思いました。
それから、ご飯を全く食べられなかった時期に、パンを買いたくて、たまたま歩いていたわたしに、無償でとん汁を振る舞ってくださった福祉法人さん、嗜好品に飢えていた時に、「こんなことしかできませんが」と、温かいコーヒーを無償で提供してくださったモスバーガーさん、癒しを本当にありがとうございました。
これらの恩は、生涯忘れることはないでしょう。
それぞれの会社の対応
お風呂に入れるようになると、生活用品…化粧水などですが、生きるために必須ではありませんが、生活の中で必要になってくるものがあります。
これらが手に入らなくて困ったことがありました。
わたしは、肌に使うもののほとんどを通信販売で買っていたのですが、電話で注文したい旨を伝えると、オペレーターの方に、「ありがとうございます」と言われるのですが、次に住所を伝えると、途端に声色が変わり、「その住所には配達できません。津波があったところですよね?そんなところに配達の人を行かせられません」と、断られることが何度もありました。
相手の会社の方も、人を雇っている以上、危険なことはできないという判断なのでしょう。
仕方のないことですが、地味に困りました。
しかも、勤め先が、
「震災は会社のせいではないので休業中のお給料は1円も出ません。これは合法です。嫌なら有給使えば?」
という対応だったため、減収は避けられませんでした。
わたしは、半分ぐらいは出るだろうと思っていたのでこれは痛い誤算でした。
ちなみに前述した奥田さん、
「休みが減るのは耐えられません。減給でいいです」と、有休消化を促す上司を完ムシして、有給を一切使わないスタイルを貫いていました。
このように、非常時で全くお給料が出ない会社もあれば、50%、70%出たなんて方もいたり、対応は様々です。
ちなみに化粧水は、いつも使っているところから買えなかったため、一時的にオープンしたデパートのブランド物の化粧水を買って凌ぎました。お金ないのに。
日頃から生活必需品をある程度ストックしておくことの大切さを、身をもって体感しました。
被害の程度がこの程度だったことが、一番の救いですけどね。
長くなりましたが、これが、わたしが体験した一部始終です。
色々な人がいますが、人間捨てたもんじゃないなと思ったというお話でした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。